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嫌ごとと低髄液圧症候群でのこと。

誰もが悪い中、
土曜日だけが新聞がほしい人が居て


この間は自分の買い物があったからついでに行きますよって
言って、死んっ分買いに言ったけど、
なんで土曜日だけ??
まぁいいっか。個人の事情だしな。
っと思い言わなかった
来週も行ければ行きますよっては言ったけど
約束はしてないよ??
それに自分は患者で
まぁ。
ぱっとみは、普通の人でしょうよ。
それがが
線維筋痛症だから。
それが
低髄液圧症候群だから。



自分だって、早朝に熱も出てるし
解熱した頃で
朝の用意して行くけど、
買い物があれば、
なければいかないよ。わざわざ。
痛いのに
うごきたくないもの、大体ね。

頑張って無理して動いてるのにね。
なんだか、熱が出てなかったらいけますけど
。って、確約は明日のことだから、しなかったら、

なんだだか、ああゆうのはいやよね、嫌いだって、前の人と話してた、
別件で担当看護師さんと話していたら、
視線でうなずいてわざと、今日が土曜日かしら?って
自分の目の前でいうか??
それは使いっぱしりというがな。

明日買ってくるのよって、感じでいうから、
明日のことは誰にも約束できないじゃない。
平日は外来で患者で混雑してるから
外来は病棟でも怖いのに、

行くなら外来患者でごった返す前の早朝か夕方と
自分では決めていて。

夕方は先生来るかもと思うといけなくなった。

先生にもう2週間強あってないし。
いつ来るか神出鬼没で、
予測がつかない。
土日は絶対に来ないし

なんか、うまくいかないなぁ

嫌われたかなぁ
緊張感と不安で冷や汗が止まらず。
どうしてくれる。
不安感がストレスになって身体にでるのに。
→身体表現性障害ー線維筋痛症


なんとなく熱が出ているけど、
痛むけど
レスキューのナルラピド飲んで
部屋出てきた。

大部屋はずっといると
圧迫感と
息が詰まる感じが最近して、
部屋からよく
脱出したりすることも多いかな
それだけ
心の余裕が無いのがわかる

自分がどれだけ追い詰められているか?
この間先生にあったとき
大泣きして
訴えたから
もう嫌になって
来ないとか?
先生も
どうせ不定愁訴だとか、おもってるんじゃないか?
自律神経の乱れだと。

じゃ何故失神するの?
痺れはくるの??
痛みは脳の誤作動なの?

脳内が
閾値が下がればいいのだと言うけど
ほんとにそうだろうか??

仕事中に失神し
デパートで買い物中に失神
3度目が
シャワーあびてて失神。
前向きに倒れたから
おでこ5針縫合になり、
脳外科の先生に相談したら
低髄液圧症候群の症状で
もう仕事どころじゃない!!!

急いで入院だってんで、
仕事着のまま、
入院した。。経緯がある。
それだけ、緊急性があったんだろうね。

それからばたばたと
脳曹シンチグラフぃで、ほぼ決定
後はMRとCTで、
腰椎の第4−5と代5−6間で、髄液が漏れていて
髄液が漏れるから、
脳が頭蓋骨に浮かんでいられなくなり
脊髄にー頚椎の方ー脳が下がり、
脳障害が来ているときいた。

それで、自己採血で、
その10ccを腰椎に注入したんだった。
そのころは、ブラットパッチはあまり、普及してなくて
よく遠方から患者が来ていた。

手当が遅れて車椅子の子も知ってるし、
慢性疲労制症候群が重症で
ほぼ寝たきりという人もいて
個人差は大きい。

まぁ。
その後が悪かったのだけど
痛みが続き、痛み止めは使っていたが、
動けないから左側に横に向いたばかりでねていた。
どのくらいかな?

40℃以上の高熱が出だして
意識が混濁して
脳外科の先生もその時は
親には「なにが起こっているかわからない。。」
と、先生も放心状態で、
結局内科医や外科に頼ったみたい。

敗血症だったことが血液培養から解り
大腸球菌が出ているとのことで
随分高い熱が出たり引っ込んだりで
IVHは入るし
抗生剤は2種類つかってた。
それでも、落ち着くまで母が
付添を依頼されていたみたい。
観察室から独り部屋に移されたときのことだけど。

ああ、きつかったな。
しんどかったな。

痛かったな。

それがすべての始まりか??
それとも家庭内のDVか??
交通事故か??
色んな原因となるものは
考えられるけど
でも、ブラパしなきゃ敗血症にはならず、
その後の経過は取らなかったかもしれないと思おうと。。。。

でも、過去での出来事だから。
もう仕方ないで終わらせられるけど

今回はね。
そうは行かなと思うよ。

ぱっとみためは普通
なんとも無いともみえる。
ここの呼吸器に最初かかった時に言われたのが
「ほんとに喘息??」
って。
ああ。
最初から先生は不信感を患者に抱いていたんだね。

その一言でカチンと来たけど
あったばかりでなんともいえないし。
前の紹介状書いた先生かんてかいたのやら??

はぁ。
病院変わるんじゃなかった。


前の病院は大学から先生きていたから、
2−3年おきに変わっていたけど
まぁ、いやでも変わるわけだから良かったけどね。
揉めたこともあるし。
病院でドクハラだって、訴え上申書いたこともあるわな。苦笑

ここでもするかもしんない。


ドクハラ
医療ハラスメントだ。
って最近おもう。


視線が厳しいもん。
「なんであの人いるんだろ?看護の必要性あるのって顔してみるもの。

さっきは冷や汗が出てきたから
部屋どうしても出たいと思えたから
脱出。です。
面会室が小さいけどあって
独りになれるいいところだ。

いいところみつけたかも!!

そして、
ブラパしてからは
もう凄まじい入退院の繰り返しで、
なかば痛みや頭痛、その他のいろんな症状で
パニック状態になっていて、
一泊入りその日は観察室、
で、次の日落ち着いて退院という感じで
入退院も多かった。
生殖パッチもしたり、
高気圧タンクに半年近く入ったり
後は外来で来ては
点滴500mlを全開で落として酸素リザーバマスク10lという処置に切り替わっていったかな。

そのころがパペンとかが開発され、治験の感じで導入された、。
痛みの緩和でね。
デパケンリボトリールなどの
てんかん薬を使用したりしたけど
まぁ、ガバペンとデパケンつかってたかな?

その他は思い浮かばない。

点滴の処置してもらいながら、
外来があいてるときは、
先生がよく来てくれて
必ず、立つように仕事ができるようにすると、
先生は約束もできないだろうに、してくれたかな?
よく話し相手にもなってくれていたしね。

親はいい感情もってないみたいだけど、
治療が失敗したんだと思っているからー
でも自分に取っては心の拠り所だったし、
身体の器も壊れそうな時はメンテナンスができていたから。。


それからやっとお仕事復帰したけど
やっぱり脳の障害はあったみたいで、
仕事中に必要な知識が前はさっと脳から出てくるのを感じていたが、
感じにくくなったし、
直しドコロがわからないときもあった。

まぁよく言えば
記銘力の低下
集中力の低下
言語能力の低下
運動機能の低下
薬による副作用もあったんだと思うけど、
まぁ、足が動かなくて、
身体がおもりを下げてるかのように
重力を感じて押しつぶされそうだった
走ることはできたけど、鈍くしか走れなかった。
今はもう全く走れなくなったけどね、。

精神科がたらい回しにされ
入院も何年も個室に入院ということもおおく、
今思えば薬漬けの日々で
何だったのだろうと思う。

唯一去年の入院は薬もなくて、
精神面からのフォローがはいったから
ホント日光あびて、朝だよって身体に教えて下さいって
言われたり
閉鎖病棟でてからは
開放病棟だったから
よく外に出ることと、
本を読むことがその時はできた。
何10数冊よんだか、わからない。
楽しい入院だったなぁと
今思えば、思い返すことができる

今だからかもね。

またそれは後日談で。

断片的になり申し訳ない

明日行ければいこうかな。。。
少し腰が重い。。。