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だって見る景色車椅子で見る景色色んな景色

そういえば気が付かないこともたくさんあった、突然だけど
歩けてた頃には普通に見えてた景色、手に届いたもの、自由にできてた時間体を動かして働けてた時間、何でもっと大事にしなかったんだろう何でもっと大切に大切に過ごしてこなかったんだろうと今思う
全く歩けないと決まったわけではない、原因もわからない首と腰に経済性脊椎症がある、そのせいで神経症状が出ているみたいだけど、それが進行するともしないとも限らない、もし進行したら歩けなくなってしまうかもわからない一生もしかしたら車椅子の生活で排泄障害が出たら一生の終わりとは言わないけど、本当に怖い、今猛烈に怖い
先生からは、進行はするかもしれないと言われている

こうして車椅子に乗ってみると、施設だから自由に動けるけど、家に帰ると段差はあるし、薬はないしてめえは遠いし、手すりもないしないものづくしで本当に自由には動けない
ここでのありがたみの生活を忘れていたのかもわからない
ここでは洗濯をしようと思っても、選択はできて、洗濯の物干しがちょうど車椅子から届くぐらいにおろしてある、入った時に手が届きますかってスタッフの方に言われて手が届くところまで下ろしてもらった、そういう気遣いが自由にできてることに繋がってるのだということを忘れてはならない
それと、食事、食事も家にいたら母だよりはここにいたら三食きちんとお食事が出てくるその後片付けもスタッフの方がきちんとお時間でやってくれるそのありがたみ
あと、お風呂も月水金と確実だけど、週に3回も入れてお風呂の中にも疲れる、それは障害者用にお風呂の改装がしてあるからだ、ゆかも転倒してもいいように柔らかい板にしてあるフローリングにしてある
お部屋は約8畳ぐらい、個室全個室で4分の三が男性、その1割が女性である
各個室にはダンスと引き戸のあるタンス、そしてテレビ物干し竿電動ベッドトイレ洗面が付いていて、洗面所は車椅子でちょうど届く位の低い位置にしてあるトイレは全自動でやったら開きだったら流れる
歩けてた頃はなんにも感じなかったけど、こういう少しの気遣いがとっても今はありがたみが強い、本当にそれを私は忘れてしまってたのかもわからない
もう二度と歩けない、そういう人もここでは多い、立てない、そういう人も多いと思う
歩けるけど、知的障害精神障害を患ってる人もいる
でもやっぱり歩きたい、人間1度歩けなくなると歩き方を忘れるもんだなぁと思った。本当にリハビリが始まった時、半年の入院だったんだけど、半年の入院期間中歩き方を一生懸命再獲得した記憶がある今でもまだまだ再獲得している段階だ
普通は自由に歩いているというか、体が動いているけど、その体が動かなくなってしまうと体を合わせ体が忘れてしまうどうやって歩いてたっけ、どうやって足を動かしてたっけ、肩の力を抜け、お尻の力を入れて、お腹の下、バラを力を入れて色んな事を言われて頭がぐちゃぐちゃになってかかとを上げて、足先をついて、股関節を動かして膝を伸ばして膝を曲げて、そういうひとつひとつの動きがもう忘れてしまっているのである、それを今再獲得中である

絶対に歩きたい
ツイは必要かも分からないけど、多分絶対に必要だけど、今日本強いでなんとか長く歩けるように持久力をつけるように訓練している、今は喘息の発作が出ていて、その訓練が中東になっている、それが余計に私の中の不安を煽っていく
身体表現性障害という病気もあるみたいだし体が1度全く動かなくなったこともあった、手も足も手先さえも指先さんも本当に全く動かなくて、親に頭がかゆい鼻がかゆい足が動かない、トイレに行きたいと言って一番大変だったことを思い出した。親もそれはトラウマになってるみたいだった
本当に全く動けないのだ、あれはびっくりした。頭も動けない、その翌日に神経内科に受診して赤村センターにも行ったけど原因がわからなかった病変はあるけれど、その病変は手術するものではない、もしかしたら手術したら寝たきりになる可能性の方が高いと言われ、もういいです。このままで歩くようになりますと返事をするしかなかった
きっと先生は私の中の弱さを知ってるのだ、私の中の弱さを脆さを見抜いていているのだと思う。きっと手術したら手術したで寝たっきりになってしまって、また視線が下がってしまう、今車椅子での視線がベッドで寝たままの視線天井しか見えなくなってしまう。それは絶対に嫌だ
今まで物を見る視線なんか考えたことはなかった下に落ちた物を拾うことに苦労することもなかった、いつの間にか足に怪我をしてることなんてなかったし、爪を切ることなんて、苦労もしたこともなかった、それが今は爪も苦労するし、足も本当に苦労する
こうやって入力していて、涙が出てしまいそうになるほど本当に情けなくなってしまった
だけど、これが今の現実の自分なんだ
そうやって自分の障害を認めてしまわないと先には進めない
線維筋痛症という痛みの病気も、脳の誤作動と言われているけれど、その痛みを自分の中で障害として認めてしまわないと受容してしまわないと先には進めない
どうしてこんなに痛いの、どうしてこんなに私だけが痛いの、どうしてこんなに苦しむの、どうしてこんなにどうしてこんなに
そういう思いばっかりが先走って、今の自分に今の自分の障害を認めていないのだと思う
障害受容
その言葉が重くのしかかる
けれど、それもう私の一つの個性などだと思えばそうなのかもしれないけれど、そこまで軽くは考えきれない
やっぱりそれは先天性なのか、後天性なのか障害がどちらかによってやっぱり違ってくるんだと思う
ここにいる人はほとんど先天性の人が多いみたいだ
後天性の障害の人も多いけれど、やっぱり長年ここに入っていて障害を受容しているように見える
その中で働き1日の生活を通している
本当に尊敬に値する
私は90分が一単位だけど、その90分座っているだけでももう腰が限界だ
その後、90分1時間した後はリハビリを12時まで頑張ってやってみる自分でできることまでは自分でできることを精一杯やろうと思う、精一杯やって、そしてリハビリの回数も就任2回から週に3回まで増えたのでそれも活かして頑張って精一杯歩けるようにリハビリを頑張りたいと思う

その他にも日常生活で車椅子を押して歩く歩行器で例えば食堂まで行ってみると、か、ついで廊下を歩いてみるとか、今は暑いからなかなかできないけれど、そういうこともやってみるのも少しずつだけどしている

まだまだ障害を受容してなくって足掻いているのだ、あがいている自分がありありと見えるようで本当に情けない


ああ、やって愚痴を書いてしまうのも本当に障害を受容してないからだと思うだけど、やっぱり生活の中で色々あるとやっぱりどうしても愚痴が出てしまうね。それは許してください。たまに口も出させてください。こうやって弱音も出させてください

人間そんなに強くない、人間、そんなに弱くない、だけど、私は人間そんなに強くない方である
すぐ精神的に参ってしまうし、希死念慮が出てしまうし、こんな体捨ててしまえば、こんな心をなくなってしまえば随分楽だことだろうと思うけれど、まだ親がいるから親を悲しませることだけは渡してはダメだと思って立ち止まっているだけだと思う

実は家にいた時、主人が亡くなった後、だけど、自殺未遂をしたことが四五回あった。それは内服オーバードーズによる自殺未遂である

その時は普通に歩けてた
ただ、精神科に長い間入院していたこともあった2年とか3年とかそういうスパンを何回か繰り返して入院したこともあった

そして今、車椅子である
なるべく心を強く持ちたい
ネットのことで心がダメになってしまったけれど、ネットのことでTwitterのことで人が信じられなくなって人が怖くなってコミュ障みたいになってしまったけれど本当に自分はコミュ障じゃないかと思うぐらい人と接するのが怖くなった

口に出したものは戻ってこない、喋ったものは返ってこない、いつも思うんだけど、本当にそのことは痛感している言葉を大事にしないと、言葉は生きている


車椅子から見える景色、歩行器から見える景色、星から見える景色、先生たちが顔を上げて顔を上げて歩いてと言われるのもそうやって景色を見ながら歩く千を要さそれも言ってるんだと思う


なんとか、喘息が落ち着いて、またリハビリが頑張れますように
そして少しずつでもその障害が受容できますように

色んな病気が合併している
脳脊髄液圧症候群から始まった、ブラッドパッチ、そのブラッドパッチによる敗血症で死にかけ、そして線維筋痛症に移行してしまった

何10年もうドクターショッピングを繰り返し、あれじゃないかこれじゃないかといろいろ病気を探って行ったが、あるときペインクリニックが近くにできて、それが幸運だったのか、線維筋痛症だよっていうことで、診断名がついたんだった。それはそれでほっとしたんだけど、それって治らない病気なんじゃない、痛みが増幅して鳥がポイント打っても痛い、正常神経ブロックを打っても一体何をしても痛いのである。本当にその時は大変だった。今はペインクリニックが近くにないし行け行ける環境でもないのでトリガーはできてないけど、トリガーをしたら、トリガーをした注射の針の穴が後日いたものである、そういうものもあった

今は痛みの方は麻薬でコントロールしている麻薬と他の薬を併用している

でも、あんまり薬を使いすぎると今度は胃潰瘍になり、検査入院と言われたのに、検査入院3日目で吐血をしてしまった
三ヶ所から出血していて本当に命が危なかったらしい。あんまり記憶がない

それから普通に歩けるようにはなったんだけど、ある時、喘息の発作が出て、喘息がきつくて歩いていて転倒してしまった、それから、ちょっと歩けなくなってしまって原因を探っていったら首と腰に原因があることが分かった


少しでも歩けるようになるように

胃潰瘍や喘息、そして、プレドニンというステロイドを飲んでいるけれど、そのステロイドの減量を今頑張ってやっている、今、ステロイドの減量の週間目に突入した、ちょうど明日病院である

先生に会ったら泣いてしまうかもわからないね。本当に情けないね

歩く景色歩いて見る景色、立って見る景色、車椅子で見る景色、本当に色々あるけれど、ひとつひとつ大事にしていきたいと思うけれど

心が今死んでいて心がついていけなくて無気力で何も考えられない本を読んでも、頭に入ってこないのである、本当に本は脳のバロメーターである

何とかならないかなぁ、これだけだね