人間は自分勝手な生き物だ。
入院して面会に来る父と母。
入院前はあんなに切羽詰まり、どちらかが先に死ぬまでは、この行く地獄は続く。と
悲観的 絶望的に考えいた。
悲観的になるのもそうだ。
挨拶しても口は聞かない。
高熱が出ていても、正月から熱を下げなさいと言われる始末で。
冷蔵庫の中はいつ作ったか?買ったか?
冷蔵庫に入って無いものもあった。
(2-3回は嘔吐下痢症になったのだが)
常時空気清浄機を親が新しいの買ったので、借りても24時間はつけていたくらい。
筋力がないと言ったっら、外に出てなかったもんね。と言われ
高熱が出るのに、また免疫不全状態で外は散歩できる状態ではない。とね。
具合が悪化してから毎日来てくれるけど、
毎日来ると疲れるから、いいよ。とは言ってある。
当方は親になった事が無いが。
親としたら、やはり子供は子供なのだろう
当方は若い頃から)親不孝な子供で、心配ばかり掛けた。とは
これでも自覚は有るのだ。
父も病気を抱え身障者の身体で母を送ってくれる。
一緒に来ない時は、何か他の病気が(他に持病がてんこ盛りです)出ていて車から降りれない時だろうと、思うし、母の話し方でもわかる。
これでも死にかけ、三途の川を渡りかけた事は3回目、あ、4回目???
1度目は→低髄液圧症候群から→ブラットパッチ→はい血症になり、高熱で40℃の熱が引いたり出たりで、1度目のブラパは悲惨だった。
2度目は→第3度の熱傷で、全身麻酔で植皮手術になって、喘息も悪い時期だから、命に関わると言われて、おばは着いていてくれたが、母は父の介護が手が半汗ない時期だったんだろうな。ともおもうが、喘息発作ち全身麻酔は怖い。
3度目は→腸炎で嘔吐し常用していたプレドニンを嘔吐し,副腎クリーゼと分かるまで,何度も家で意識が無くなり倒れるので、救急車うぃ3度呼んだが,2回は帰宅させられて、悪くなり、入院希望して入院したら、嘔吐が続き、病棟で意識消失になり、電解質のバランスが狂い、病棟から→ICUへ移動になった(らしい)
記憶がなく、数日ははっきりしない。
入院して、腸炎→嘔吐→プレドニンが入らない→副腎クリーゼになった(ショック)状態らしい。
4度目は→今の入院→喘息コントロール膠原病精査目的が、吐血して一気に重傷者に落ちた。ショック状態で輸血、今でも点滴は続いてる。
親は当方もだけど死に目に逢えないかもしれないとは、この病気抱えて、覚悟はしてる。
でも辛くてしんどい時に、親や身内の顔を見るには、勇気や頑張れる元になる。
人間は自分勝手な生き物だ。