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病気はいつからか。。。

孫のいる生活。
大体自分くらいになるとそうだよね。
平凡(でもないかもしれないけれど)な、日常(普通な暮らしは戦争だけおね。)
だったら・・・・
そのままの生活が続いていることを、
望んでいるわけではない自分もいる。
酷いね。でもね。
そういう非日常な生活で、
怖かったんだよ。
怯えて生活してた・・・・
毎日
いつ性格が豹変するかわからなくて
お酒飲んでなくて
素面でも
そういう事する人だったから
怖かった・・・

向こうに
逝ってしまって。
安心した自分がいたしね・・・
それで、ほっとしすぎて、
色んな病気が出てしまった。

逝く前から
少しずつ前兆は精神に出ていた

何だか、夜がねむれないぁ・・・・
位で、
それが続くもんだからキツくて
近所の心療内科を受診したのだったね。

最初は色んな事先生に
うち開けていたけれど。
その病院では手に負えず
精神科ではないと出せない薬もあると言われて
街の精神科に(クリニック)通ったっけ。

自分もただ、
不眠症くらいしか思ってなくて、
そこまで酷くなるなんて
思ってもみなかったね。


そうこうしていて・・・・
どんどんと薬は増えて
仕事にも支障がきたし
やる気がなくなり
体がしんどくなって起きれなくなった
鬱状態なのかなぁ・・・
とかも思ってたけど(違ったみたい)
病名は先生に聞いても
はっきりしなくて
そのうち
入退院を繰り返すようになった
それも一家の入院が長くて
個室だったため
莫大なお金が必要になったけれど
その時はなんとかできたものだったね。
そこで何回か入退院繰り返し、
仕事に復帰して・・・
と、繰り返していたけれど
足が重くて
集中力がなくて続かなくて
帰りに点滴して帰っていた。
みんなと同じ、満足な普通の仕事はできず、覚えも悪化。


仕事に支障がきたすようになり
病院に2週間に一度通っていたため
都市高速で通っていた
怖かったな・・・
コントミンとか内服させられ
それと拮抗するように
リタリンが出され
飲めと強要され、
何がなんでも仕事には復帰させますと資格のないマネージャーさんは
両親を呼び出しては怒り
(何故??自分に言えば良いのに??)
自分には
どうしたら普通に仕事ができるか
コミュニケーションの問題ではないかと言われ
性格に
難があると言われそれは人格否定されたようなもの。
今でいう
いじめにあたる。
とても辛い自由のない入院生活だった
きつい薬を資格のない人から指摘され出されて
それを鵜呑みにして
まぁ・・・・
損した時間だったと思う

それで、病院を変えて
街中の病院で入院(転院)
脳脊髄液圧症候群もあるので、診察に
父が迎えに来てくれて
自分は起き上がれず
座れなかったので
横になって行き帰り2時間の道のりを
父は文句も言わず
やってくれたなぁ・・・
ありがとう。

(親の生きてる重みですね)

そこを退院してからは総合病院の精神科に受診して
通院しながらの病気との格闘が始まった
まずは、
薬を抜いてしまい、大幅に
変更から始まった。
断薬は苦しく
眠れず昼夜逆転し、夜中に起きてという
普通じゃない暮らしだった
日光がドラキュラの様に苦手で
雨戸にカーテンしていたくらい
日向の日差しで頭痛など酷い症状が出ていたから


まともな暮らしはしていなかった
なんとかなったのは
仕事に席があったから・・・・・

(それも仕事に戻れず
辞職してしまうことになる)

精神科通院は2週間に一度
それはオーバードーズを防ぐため
と、病気のカウンセリングかな・・・


それとは別に
精神的に煮詰まってきて
やばい状態になったら
電話かけて先生がいたら
よく愚痴などこぼしてた。。。
精神科のレスキューだね・・・・